第263回プロフェッショナル仕事の流儀では、鎌倉投信のファンドマネージャー・新井和宏(あらいかずひろ)さんが密着取材されてたので、放送を見て新井和宏さんに関する番組の内容や感想などを書いてみました。
録画した番組を見て書き起こしたので、多少の表現の間違えや言葉の間違えなどはご容赦下さい。あと頭の悪いくだらない感想もご容赦ください。
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[ad#top-23]プロフィール(経歴)
新井 和宏(あらい かずひろ)
生年月日 1968年(50歳)
出身地 神奈川県横浜市
鎌倉投信株式会社 取締役 資産運用部長東京理科大学工学部
1992年 住友信託銀行
(現・三井住友信託銀行)に入社
2000年 バークレイズ・グローバル・インベスターズ
(現・ブラックロック・ジャパン)に入社
2008年11月
鎌倉投信株式会社を創業
資産運用部長に就任
2010年3月
投資信託「結い 2101」開始
新井さん鎌倉まで電車で1時間半かけて通勤しているそうです、外資系の企業に勤めている時に買った家から通っているのでしょうか。
結婚して家族もいるようですが番組には登場しませんでした、大金を扱う仕事なので家族の顔出しはマズイんでしょう。
鎌倉近辺に引っ越せば通勤時間1時間半が短縮されていいのではと思いますが、家族の都合もあるでしょうし難しいのでしょうね。
小学校から大学時代
昭和43年横浜生まれで実家は小さな畳屋、小学5年生の時に父親が自動車事故に見舞われて、生活が一変した。
職人として以前のように働けなくなり家計が一気に苦しくなった、通っていた塾を辞め高校はアルバイトで生活費を稼ぎながら通学、大学も昼間働けるように夜間部へ。
「いつも思っていた、お金があれば幸せになれたのに、お金があれば昼の大学に行けたはずだし、
お金さえあればあればこんな風になっていなかったはずとどうしても思う」
「稼がないといけないと思っていた」
新井さん苦学生だったんですね、アルバイトで生活費を稼ぎながら高校へ通い、大学も昼間働くために夜間部に行くなんて。
最近は苦学生って言葉自体使われなくなりました、そういう方もかなり減ってしまったようです。
お金に苦労してきたのですから、お金があれば幸せになれたのにと思いますよね、でもお金があったからって幸せになれるのかといえばそうでもない場合があるので難しいです。
信託銀行から外資時代
大学卒業後、給料が高いと聞いた信託銀行に就職、そこで出会ったのは高度な数学を駆使して利益を生み出す最先端の投資理論。
猛勉強でその理論を我が物にして、32歳で外資の会社に転職すると凄い仕事が待っていた。
運用をまかされたのは、中規模国家の予算に匹敵する10兆円、自らの報酬も一気に上がりついに成功をつかんだかと思った。
その頃から心の中の何かが急速に蝕まれていった。
プログラムの僅かなミスで巨額の資産が吹き飛ぶ世界、間違えれば数億・数十億下手したら何百億というお金が飛ぶ。
「間違えられないプレッシャーが凄くあって、自分で払えない額ですから、そうなると眠れなくなる安心して眠れる時が無くなった。」
2001年9月11日のテロでの大暴落で全ての努力もむなしく数兆円が、一瞬で消える自体も目の当たりにした。
「自分にコントロールできないことに対して、責任を取れないことに対して、むなしくなる時があった。」
工学部なのに金融関係を選んだのは給料が高いからという理由だったんですね、そんな理由でも住友信託に就職してしまうなんて優秀です。
最先端の投資理論を自分のものにできて、しかも外資に転職するなんてめっちゃ優秀です。工学部出身だったから最先端の投資理論を我が物にできたのでしょうか?そうならある意味天職ですよね。
中規模国家の予算に匹敵する10兆円の運用って、金額的には物凄い額ってわかるんですけど、どんな感じなのか全然わかりません。
物凄いプレッシャーやストレスかかっていたんですね、想像ですけど睡眠導入剤とか使ったりそれも効かなくなったり、眠れずアルコールに頼ったりとかしてたのでしょうか。
[ad#mid-23]外資退職
無理に無理を重ねついに39歳のときに体が限界を迎えた、つかの間の休日家族と旅行に向かう飛行機で倒れた。
医師の診断はストレス性の難病で、もはや働ける体ではなかった。先の見えないまま結局退職するしかなく金融という仕事に生も根も尽き果てた。
そんなある日ふと立ち寄った本屋で一冊の本が眼に止まった、「日本でいちばん大切にしたい会社」紹介されていたのは日本の各地で奮闘する会社頭を殴られたような気がした。
「俺何やっていたのかなって思ったんですよね、今まで金融マンとして15年以上、そういう会社があるんだってことすら知らなかった、自分が社長に会うなんてなくて、数字だけで数字だけの世界だけで判断してきた、そこに命・血が通っている人がいて、そういう人達が本当に会社を愛している仕事をしている。本当に金融マンとして僕はこういった会社を支えることができなくなった深く思いました。」
休日も本当は体を休めたかったのでしょうが、体のこと家族にも言えなかったのでしょうね心配かけまいと。
もし本屋に寄らなかったら、「日本でいちばん大切にしたい会社」という本に出会わなかったらとどうなっていたのかなとか思うのですが、多分どこかで出会っていたのでしょう、出会いってそんなものなんでしょうか。
鎌倉投信設立から現在まで
それから半年後2008年秋かっての仲間達と自ら会社を立ち上げた、志のある企業を応援する本当の金融をやる。
各地で説明会を開き投資をしてくれる人を募った、1年半後「267人」が出してくれた3億741万円が集まった。
投資ファンドを開始選び抜いた企業の株に投資しながら、更に支援したい会社を捜し求めて全国を回った。。
そして7年目考えに賛同する投資家が1万人に達しようとしている。社会の役に立つ金融へ新井さんの思いは広がっていく。
家族からはまた投資の会社をやることに反対とかなかったのでしょうか?あとストレス性の難病はこの時点で治っていたのでしょうか?
鎌倉投信での仕事はそんなにストレス・プレッシャーないんでしょうか、カメラに映る新井さん生き生きしていました。
「267人」で3億741万円が、今や1万人で140億円ですよ、凄すぎますよ。
「資金を出した以上は相手に尽くす、いい会社だと思ったら支えるいい会社の活動そのものが、結果として社会を豊かにしている
それを裏から支えているものが、(金融)のあるべき姿じゃないのかな?」
とも言っていました。
新井さんが考えるプロフェショナルとは、
どこまでも謙虚に、誰よりも強く思い、そして日々の努力を積み重ねられる人。
そうすれば誰も行けないところに行けるかな
最後に
番組を見て思ったのですが、新井さんが鎌倉投信でやろうとしていることって、本当は銀行が政府がやらなきゃいけないことですよね。銀行や政府がやらない・やれないから、新井さんたちが替わりにやっている。
鎌倉投信の新井さんの理念本当に素晴らしいと思います、それに今のところ出資に失敗した会社もないのも凄いです。
あれだけお金にこだわっていた人間が、ここまで変われるって凄いです、撮影スタッフにも気遣いをしているシーンもありましたし、人間性も素晴らしい方のようです。
新井さんの理念が広がり、日本に良い会社が増えるといいですね。
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