歴史学者の磯田道史さんと言えば、林修さんの番組やNHKの歴史番組で実に楽しそうに歴史を語るのが印象的な方です。
映画「武士の家計簿」や「殿、利息でござる!」などの原作も手がけています。
その磯田さんが4月からテレビ朝日系列で始まる、報道・情報番組サタデーステーションでコメンテーターをやるそうです、どんなコメントを残すのかなど興味がある方も多いと思います。
関東では磯田さんのコメンテーター姿は初お目見えなので楽しみです。
歴史学者の磯田道史(いそだみちふみ)さんの、結婚したお嫁さんとその子供のことと家族のことや、出身大学や経歴と面白いエピソードなどを調べてみました。
プロフィール(経歴)
磯田 道史(いそだ みちふみ)
生年月日1970年12月24日(52歳)
出身地 岡山県岡山市
身長 ?cm
体重 ?kg
血液型 ?
小学校時代
出身小学校は、岡山市立御野小学校、中学は岡山市立岡北中学校。
磯田さんが歴史の世界に興味を持ったのは、家の近くで弥生式土器が発見されたからでした。
磯田さん小学校時代から行動力が凄くて、高学年のころに家の改築のために庭に建築廃材やブロックがあったので、それを利用して釜を作り土器を焼いて作る遊びをしていたそうです。
次に挑戦したのは出雲大社で、昼飯を食べている大工さんに建て方を聞いて、2メートルの社殿を一人で立ててたのですが、台風が来て壊されてしまったとか・・・
土器を焼いたり出雲大社の社殿を作ってみたりと物凄い行動力です、普通は作らないですし周りも作らせないですよね。
高校は岡山大安寺高校
磯田さん岡山県立岡山大安寺高等学校に進学しています。
高校時代になっても、磯田さんのスーパーな行動力は衰えることはありません!!
若尾俊平さんの「近世古文書解読字典」という本を500円で買ってきて勉強したら、3ヶ月で8割半年で9割5分は古文書が読めるようになったそうです。
500円の本で古文書が読めるようになるなんて、どんな勉強の仕方をしたのか気になります。
勉強に教材などの金額はあまり関係なく、本人のやる気と正しい学び方をすればいいというお手本のようです。
大学は?
最初に進学した大学は、京都府立大学文学部史学科でしたが、一年で辞めています。
辞めた理由は教授陣は一流だったそうですが、図書館の蔵書が少なくそれに当時は専攻分野の大学院がなかったから。
退学したその年に慶應義塾大学文学部史学科に入学しています。
浪人することなく慶應大学に入るのは凄いと思うのですが、ご両親は1年で大学辞めて慶應大学に入り直すことをどう思ったのでしょうか?
入学費から学費に引越し費用に生活費といろいろとお金かかかりますしね。
川崎に借りた下宿が大学に遠くて、往復に疲れるからと、図書館の中で暮らすような状態だったそうです。
どんな状態だったのか気になります、流石に閉館時間が来たら追い出されるでしょうし、そうなると結局家に帰ることになると思うのですが、大学構内で野宿でもしていたのでしょうか?
食事も取らずにひたすら本を読んでいたら、図書館で倒れ救急車で運ばれて、その時の最高血圧が38だったそうで、かなり危ない状態だったみたいです。
磯田さん集中すると、お腹空いたのとか眠気とか忘れちゃう集中力が物凄いタイプなんでしょうね、命がけの読書なんて滅多にありません。
リング貞子誕生秘話
さらに凄いエピソードがあります、大学に遠かった川崎の下宿から高輪の清林寺というお寺に引っ越しと時のお話です。
ある夏の夜に白い着物を着た若くて可愛い女の子の幽霊を目撃したそうです。
どういう状況で市長さんと会ったのかわからないのですが、その話を浜松市の鈴木康友市長にしたら、鈴木市長も慶應卒で白い着物の幽霊を見たことがあり、
そこに市長の同級生だった作家の鈴木光司さんが加わって、清林寺談義に花が咲き、その時の話が元になって「リング」の貞子が生まれたそうなんです。
ちょっと信じられないような話ですよね、リングの貞子の元ネタが磯田さんと関係があるなんて・・・世の中広いようで狭いんですね
経歴
2002年慶應大学院文学研究科博士課程修了。
2003年「武士の家計簿 」で新潮ドキュメント賞を受賞。
2004年茨城大学人文学部助教授に就任、
2008年国際日本文化研究センター(日文研)客員准教授
2012年静岡文化芸術大学文化政策学部准教授、2014年に教授に。
2016年国際日本文化研究センター准教授
2017年1月情熱大陸出演
結婚した嫁と子供が気になる!
磯田さんが妻と出会ったのは36歳の時です、それまでは全く女性に縁がなかったようです。
こちらの対談では結婚するまでチェリーボーイだったと言っていますので、そうなんでしょうね。
対談では35歳と言っています1歳くらいの違いは大したことではないので、気にしないことにします。
妻との出会いは?
南青山のギャラリーに行くとピンと来る女性がいて、どういう経緯で話をしたのかわからないのですが、
「あなたは私のおばあちゃんに顔が似てる」と言われたそうです。
磯田さんこの女性のことを運命の人だと思って、名前も知らなかった女性にその場でプロポーズをしたそうです、そして二ヶ月ほどで婚約をしています。
普通ならこんなに上手くいきません、実際は何があったのか気になります、もしかしたら奥さんも磯田さんの事を運命の人と思ったのかもしれません。
そうじゃなきゃいきなり話しかけられた人に、プロポーズを申し込まれても困りますよね・・・
会っていきなりといっても会って1分と数時間じゃ違いますから、ある程度お話をしてからだと思います。
あとで奥さんに聞いてわかったことなのですが、奥さんも慶應大学卒で、母方の家系は岡山で磯田さんの曽祖父の生まれた郷里の出身だったそうなのです。
磯田さんが言うように正に運命の人です、こんな事って一生に一度あるかないかというレベルです。
子供は?
2017年で7歳の娘さんと5歳の息子さんがいます、ということは娘さんは2010年頃に生まれて、息子さんは2012年6月頃に生まれたみたいです。
息子さんの名前は「道真」だと思われます、こちらの対談で息子には、妻の1字を借りて「道真」とつけるんですと言っています。
娘さんと息子さんは磯田さんに似ているのか?それとも奥さんに似ているのか気になります。
家族は?
磯田さんのお父さんは、岡山県職員で、主に果実園の土を分析する農芸化学の研究職でした。
お母さんは、就学中学・高校の英語教師をしていました、なんでも英文科を出ただけで海外に行ったこともないのに、英語がペラペラだったそうです。
英語の特技を活かして学生時代に通訳なんかもやっていたそうです、お母さんと英語の相性かなり良かったのでしょうね。
磯田さんは英語どの程度話せるのか気になるところです。
お母さん結構お金持っているようで、岡山の実家の建物を立てたり、磯田さんと妹さんが暮らすマンションの部屋を買ってくれたりしています。
磯田さんには4歳年が離れた妹さんがいます、お名前や現在の職業は分かっていません。
磯田家
磯田家は岡山鴨方藩池田信濃守の家臣でした。
磯田家は岡山城下鷹匠町に敷地約二百五十坪の敷地に住んでいたそうですが、そのご場末の長屋に追いやられてしまうそうです。
この屋敷を最後に拝領したのが、五代前の磯田郡次兵衛由道さんでした。
由道さんを記念して、磯田家では男の子の名に「道」の字をつけることになったそうです。
まとめ
出身小学校は、岡山市立御野小学校、中学は岡山市立岡北中学校。
小学生時代から土器を焼いたり出雲大社の社殿のミニチュアを作っていた
高校は岡山大安寺高校
500円の本で勉強したら、半年で古文書の95%が読めるようになった
1度めに入った大学は京都府立大学文学部史学科、1年で中退
次の年に慶應義塾大学文学部史学科に入学
リングの貞子のモデルは、磯田さんが見た若い可愛い女性の幽霊?
奥さんとは南青山のギャラリーで出会い、運命の人だと思いその場でプロポーズ
2ヶ月で婚約して結婚、子供は7歳の女の子と5歳の男の子がいる(2017年現在)
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